動き出した象を追いかけて

SFCで学び、DeNAで働き、医学生。

あしなが育英会の募金に申し訳なさを覚えた

テストも山場を迎え、部活と勉強の日々になってきました。少し反発があるかもしれませんが、今日はあしなが育英会の募金について書きます。

先日、駅前のカフェに行こうとしたら、改札前をはじめとして駅周辺で高校生があしなが育英会の募金をしていました。

単刀直入に言うと、両親に恵まれたうえ、わがままを言って2度目の大学生活を送っている自分は兎にも角にも申し訳なさを覚えました。

あしなが育英会は不幸でご両親を失くされた子どもに対する支援を行なっている団体です。

募金は応援や慈悲の気持ちなど、個人がそれぞれの感情を持って行うもので、募金をしたい人がすればいいし、そうでない人は無理にする必要がないものだと思っています。

受け取った方も嬉しいし、募金をした方も純粋な支援の気持ちとともに、良いことをしたという気持ちを覚えるからこそ続くというのが募金なんだと思います。

しかしながら、あしなが育英会の募金は意義や重要性はひしひしとわかるものの、申し訳ないな、募金をしないといけないけど、早くこの場を通り過ぎたい。でも通り過ぎたら通り過ぎたなりの罪悪感を感じる。といったものでした。

社会は支え合う基盤で、個人は支え、支えられます。支える人と支えられる人は時によって変化するものですし、支える人と支えられる人への流れがしっかりとあることはじつに大切なことだと思います。
募金のやり方・あり方についてとにかく言うつもりはありませんし、そこへの示唆を持っているわけではありませんが、支える人から支えられる人への流れは健全でないといけないということが、どうにも頭から抜けないことだったので結論がないなりに書き残しました。