動き出した象を追いかけて

SFCで学び、DeNAで働き、医学生。

「上手い見せ方」と「詐称」の境界

ついに花粉症になりました。この微妙に痒くてムズムズする感じが嫌です。

ショーンKの経歴詐称が発覚してから数日経ちましたが、どうも頭から離れません。せっかくなので、今日はショーンK問題から思ったことを書いていきたいと思います。

「上手い見せ方」と「詐称」の境界

相手に伝わりやすいように自分や事象を上手く見せることは一般的に良いことだとされ、詐称することは悪いことだとされますが、その境界はいまいち分かりません。

”Fake it until you make it”と言いますが、実際には出来ないのにも関わらず、実際に出来るようになるまで出来るように見せかけと言い続けることはビジネスの現場でも多々あることで、その線引きは個人のバランス感やさじ加減に委ねられる部分が多いように思えます。

ただあくまでも境界を引くのであれば、
  • 変えることができない過去や現在の事象からカスリもしない主張をする
  • 大多数の他者が違うと判断する
というところに収斂するように思います。

ショーンKに感じたこと

自分がショーンKを初めて見たのは報道ステーションでした。

ハーフ顔の端正な顔立ち、低くてダンディーな声が印象的でした。多くの論者が「中身がないことを言っていた」と揶揄しますし、振り返ってみると新しいことは言ってないように思えます。
しかし、昨今のニューストピックには複雑な背景事情があり、それを整理して分かりやすく伝えてくれるなという印象を覚えましたし、ルックスや声がさらに説得力を強めていました。

ショーンKを「どこかのコンサルタント」としか捉えてなかったので、明らかにリアル感のない学者と比べても遥かに好感度は高かったですし、HBS卒業という経歴を耳にしても何の疑いも持たなかったと思います。(そもそもコンサルタントなんて胡散臭いような気がしますが)

多岐にわたる領域の情報を集め、整理し、理路整然とテレビで話すこと。ネイティブかと思うような英語を話すこと。それらは到底誰にでも出来ることではないですし、そのための努力は実に凄いことだと思います。

ただ、それが出来る人は数少なくとも代替不可能ではなく、経歴の大詐称をしている「ウソつき」であったショーンKに、人前で話す役回りを任せる必要性もなくなってしまったというのが一連流れなのは頷けます。(むしろ彼を起用し続ける、復活の道を与えるメディアがいたら、それはそれで好感を集める気もします)

この時代、ウソをつかずに真っ当に生きたほうがよい

今回の一件を経て、以下の理由から強くそう思います。
  • そもそも罪悪感や不安感が生まれるから
  • 帳尻合わせが難しすぎるから
  • インターネットが普及したから
1つ目の「そもそも罪悪感が生まれるから」ですが、慣れてしまうとそうでもないかもしれませんが、ウソをつくことは罪悪感やバレてしまうかもしれない不安感が伴います。成功しても、そうした感情を抱え続けるのはなかなかしんどいです。

2つ目の「帳尻合わせが難しすぎるから」ですが、ウソをつくということは本当の事象のとある部分を塗り替えるということです。超天才人間であれば大丈夫ですが、どこの部分がウソをついていることか、これまで行ってきたこととの整合性、全体として理路整然としているかなどをパーフェクトにするのはかなり難しく、普通はボロが出てしまうのではないかと思います。

3つ目の「インターネットが普及したから」ですが、インターネットの特徴は情報が残存することや拡散するスピードが広く、速いことだと思います。ネット上に残存していることとウソは対照されてしまうし、表出すれば、その拡散は迅速かつ広域に渡ります。それゆえに、ウソや不確かなことを述べることへの抑止力がますます強まっているように思えます。

悪いことも間違ったことを抱えて生きるのも辛いですし、バレる可能性が高まっているのだから、真っ直ぐ努力するのがやっぱりいい生き方なんだと再認識しています。