動き出した象を追いかけて

SFCで学び、DeNAで働き、医学生。

学生時代の時間の使い方

他の医学生のブログやSNSの投稿を目にすると「部活は悪しき風習でもっと他にやることがある」「部活動で得ることは高校までに得ているから無意味」「勉強ばかりはもったいない」といったようなことを書いている人が案外多い。

面白い論点だと思うので、これについて書いてみたい。

 

感じた違和感

前の大学時代に学外での活動に勤しんでいた身からすると分かるような気もする反面で、少し違和感を感じた。

上記の論者は大抵部活ではなく、外の活動に勤しんでいる方が多い。確かに視野は広がるし、社会の課題などに目を向けて課外活動に打ち込んでいるのは素晴らしいことだと思う。

だけど、ただのポジショントーク&自己の正当化なような気もするし、「部活なんて時代遅れなことやってるよ」みたいに見下している印象も覚えた。

 

自分は部活も課外活動も行なっているけれど、それぞれ学ぶことはある。部活ならただボール蹴ってるだけでなくて、自分の課題設定&解決、生身のコミュニケーション&マネジメントを学んでいるし、課外活動では大学では学ぶことのない医師の置かれた医療を俯瞰的&構造的に捉えることで、将来の指針を考える一助になっている。

 

だから、勉強に打ち込むもよし、部活に打ち込むもよし、課外活動に打ち込むもよしで、大切なのは本人がいかに頑張って、経験を咀嚼して、これからに繋げられるかってことのように思える。中途半端や怠惰を否定するのはまだわかるけど、「これはダメ」「他のみんなもキャリアはこうすべき」というのは論点を誤っているように思えるし、ちょっと残念に感じる。

 

課外活動に打ち込んで陥った過ち

自分も前の大学では課外活動に情熱を注いだ。社会や世界との繋がりも持てたし、視野も広がったし、なかなか会えないような方々ともご一緒したりと実によい経験だった。

その反面で、不要なプライドを持ったまま社会に突入したのは大きな過ちだった。

 

学生時代はなかなか大きな学生組織に所属し、活動に勤しんでいた自分は、卒業の頃には組織でも上のほうのポジションにいた。後輩たちからは一目置かれたりして有頂天な部分もあったのだけど、なにも実力ではなくて、「時間をより割いた」から就けたポジションで、そもそも「井の中の蛙」状態。

社会に出たらいくらでも優秀な人はいるし、学生時代とは違って同期もみんな仕事に情熱を注ぐ。学生時代に身につけたスキルなんて、せいぜい数ヶ月で補えてしまって、本当に実力勝負だったし、全然できないことだらけだった。

もう一度はじめから働けたら、不要なプライドは捨てて、「出来ません!頑張るので教えてください!」のスタンスで働いた。

きっと医学生のなかで少し抜きん出てても、医師の世界ではひよっこ。遊んでた学生も働き始めたら、一気に伸びて、少しの差はすぐ埋まるのだと思うし、むしろプライドがないからなんでも聞けて、すぐに成長する気さえする。

 

最近思うこと

なんというか競争することに疲れてきた。

周りから名声を集めたり、ブランド病院に行って箔がついたり、全然悪いことじゃないと思う。少し前までの自分はそうで、他人から評価されたり、認められたり、求められるのがすごくモチベーションになってた。

なんだけど、それが自分を磨耗させてる原因なんじゃないかと思ったし、そんな生き方をしている自分は果たして自分なのか、疑問を覚えた。

幸せの指標が他者が与えるもので、頑張って、頑張って、例えば有名になれたとしても、有名になっている自分に喜びを感じて、それってちょっと寂しいんじゃないかって気もしなくもない。

自分は何のために生きてるのか、何が幸せなのか、背伸びなんかしないで、力を抜いて考えてみたときに見えた道を、気楽に、人間らしく、じっくり噛み締めて進んでいきたいと思う。

理解と詰め込みのバランス

夏休みが終わり、メジャー科(循環器、産婦人科とか)からマイナー科(整形外科、精神科とか)に移ろうとしています。(多くの大学は3年後期から臨床科目に入るので遅い気がしますが)

 

今日は臨床科目を学ぶうえで思うことをつらつら書いていきたいと思います。

 

医学部の勉強

医学部では6年かけて勉強するのですが、1年生は教養、1年の後半から基礎医学(解剖〜顕微鏡レベルでの身体の仕組み、生体内での化学反応など)を学び、3年の後半にようやく「産婦人科」「腎臓」「呼吸器」といった臨床医学を学んでいきます。

一般人から見ると医学=臨床医学だと思うのですが、5年生からは病院実習なので、座学で臨床医学を学ぶのは1年間のみで、基礎医学を学ぶほうがずっと長いです。

 

基礎医学で学ぶのは糖がどうやってエネルギーに変わるのか、正常な腎臓はどんな機能を果たしているのか&顕微鏡でどう見えるかといったようなことです。

病気の名前や内容、治療法を覚えるほうが意味がありそうですが、正常を知らなければ病気であることは分からないですし、正常の成立する論理や過程が分かるからこそ、病気によってどんな状態になるのか、どう介入したらよいのか分かるわけです。

基礎医学は理解がとても大切でなかなか難しいですが、臨床の基礎となっているわけです。

 

臨床科目が詰め込みになる苦しさ

1年という短期間で臨床科目を学びます。

「臨床科目」といっても腎臓、代謝、内分泌、神経、消化器、呼吸器、循環器、血液、アレルギー、産婦、小児、感染症、救急、画像、加齢、腫瘍、整形外科、形成外科、精神科、泌尿器、耳鼻科、眼科、リハビリ、漢方、麻酔、放射線、皮膚科ととても多岐に渡ります。

 

1週間〜隔週でテストが続き、分野ごとの覚える量は実に膨大です。本当は基礎医学と繋げて理解したり、詳細まで深追いしたいところなのです。というのも目の前の患者さんは教科書通りではなくて、臨機応変な対応が求められるからです。

しかしながら、よほどの時間的な余裕がなく、それをしてしまえばテストで必要な点が取れなくなってしまうように思えます。(反射的な暗記も大事ですし、そもそも暗記せざるを得ない事項もたくさんあります。)

 

基礎医学を学んでいた記憶から「この病気のこの症状はこれがこうなって出るのだな」といったようなイメージがパッと持てる時もあるのですが、反射的な暗記の割合が多くなってくると、頭の使い方も変わってきてしまいます。実際に自分も理解&思考から暗記へと変わってきているように思え、そのバランスに悩んでいます。

 

個人的な反省

  • 基礎医学は頭の使い方の勉強でもある(理解や思考の仕方)
  • 基礎医学は森の中を彷徨ってしまいがちなので臨床的な意味を明確にする
  • 暗記せざる得ない部分とそうでもない部分を明確にする
  • 疾患を個別ではなく、横串/グルーピング/連携してインプットする
  • ある程度インプットしたら、症例などでアウトプットする

そんな感じです。

ジレンマの中に生きる

「ああ、ジレンマの中に生きているのだな」と感じることが多くあります。

 

例えば、働き方。

医学部に入る前に、IT企業で働いていた頃によく考えることがありました。ITという目まぐるしい環境で生き残るため、活躍するためには、鬼のように研鑽していく必要があるけれど、そんなに追い込んでばかりではどこかでガタが来てしまうはずで、そのバランスをどう取るのか。

 

例えば、生き方。

性格柄、悲観的に考えて行動することが多いので、少しは楽観的でいないと疲れてしまうけれど、楽観的ばかりではそれもなんか違う。。。

 

他にも人間関係、キャリアなど多くのジレンマにしばしばあります。

 

どちらかに振り切れたらなと思うこともあるのですが、ジレンマの中に生きるのはそんなに悪いことではないような気がしています。

というのはおおよそ対極にあるものに挟まれることが多くて、それはつまりそのトピックを両方の面から捉えられている証拠にも思えるからです。

ただ、ジレンマに挟まれていても、座標のどこかに身を置いて「進んで」みて、環境や心境が変われば、座標をまた変えて「進んで」みるのは大切なのかもしれません。

本質的な価値を生み出してる人々へのリスペクト

街中を歩いてると、営業マンらしき人がなんて多いのかと思わされます。特に夏なんかは皆さんスーツで大変そうだなとしみじみ。

完全に私見であることを冒頭に断りつつ、営業・広報のように物事を広める人、経理・総務のようなバックオフィスが日本には多すぎるんじゃないの?、やたらと権力ありすぎるんじゃないの?と個人的に思うので、その話を。

 

「作る」以外はコスト

「物事を作る」「広げて、お金を得る」「そのために効率的かつ効果的に組織を動かす」「その過程で生まれる作業を効率的に処理する」どれも必要なのだと思うのですが、本質的な価値を生み出すのは「物事を作る」だけなんじゃないかって思います。

見方を変えれば「物事を作る」以外はコストであって、それ以外が重くなればなるほど、次の「物事を作る」ことへの投資が少なくなったり、ユーザーが価値を手に入れるに多くのお金がかかってしまうわけです。(といいつつ、オペレーション業務を責任感を持って厭わず、アイデア豊かに行う人は本当に尊敬します)

 

例えば、組織の中で営業マンは物を売るのが役割です。お金を引っ張ってくる役割で、組織の稼ぎ頭的な認識をされたり、偉そうな顔をしている方も多い印象ですが、営業マンの存在は価値あるものを販売するためのコストって見方ももっとしたほうがいいんじゃないかと思うわけです。

 

本質以外が大事ってすごい非合理

たった2年ですが会社で働いていた経験からすると、話を盛り上げられたり、飲みの付き合いがよい人間は重宝されますし、仕事上のコミュニケーションも上手く回るんだなって思うことがよくありました。

ロジカルを売りにしている前職でさえもそうなのだから、もっとそれが大事になってくる組織は想像を絶するほどあるのだと思います。もちろんコミュニケーション能力はもちろん大事なスキルのはずです。

 

確かに人間は論理だけで動くものでないですし、感情に左右される面もあるとは思うのです。

それでも、内部調整や付き合いが良いだけでより大きな仕事を任せられたり、本質的な価値を持たない営業や広報が過度に評価されるのはやはりおかしいように思います。内部評価が妥当でない組織が正しい方向で成長しないように思えますし、コストを評価する組織が成長するとは思えないからです。

 

国の青写真を描く上で

日本は人口動態も大きく変わり、広大な土地もなければ、豊富な資源があるわけではありません。新興国が勃興する世界の中で、客観的に日本がどうゆう立ち位置にいるのか判断しかねる部分もあります。

しかし、日本が今のところ優位なのは技術であることは間違いないと思います。(ホスピタリティもそうなのかもしれません。でも国家の青写真を述べる上で国を支える経済力にならないものを出すのは違和感です。)

 

売る人でも、広げる人でもなく、青写真を描く上での国の強みになっていくのは技術であり、新たな技術が生み出されるところを社会的にも経済的にも尊重し、妥当な評価を与えていくのが大切なのだと思います。

今の日本は本質的な価値を生み出さない人が、権力にぶら下がって、権力を保持/誇示するための非本質に奔走しているように思えてしまいます。政治家も何かを作るわけじゃない、投資家も何かを生み出すわけじゃない、価値を作る人をもっと認めていくべきでしょう。

 

自分が組織を回していく立場になることがあれば、本質的な価値を生み出す人たちを大切にして、本質的な価値を生み出す評価/取り組み/その支援を行うというのがひとつの軸にしていきたいなと思うのでした。

 

正論について

臨床科目は面白いのですが、診療科ごとにテストがあるのでなかなか気が休まりません。毎月1回は更新すると決めたブログも月末に書くことが多く、テスト勉強に追われてるのでサラッと。。。

 

高校、大学、会社、大学と様々なコミュニティに属していると実にいろんなコミュニティがあります。楽しいコミュニティもあれば、気疲れするコミュニティもあって本当に様々です。

自分の中で楽しいコミュニティは自らのやる気やパフォーマンスも高く、逆に気疲れするコミュニティはやる気も低くパフォーマンスも低いように思えます。

 

この2つのコミュニティの差になんの違いがあるのか考えてみると、「正論を言いやすいかどうか」にあります。

正論を言いやすいコミュニティは変な要素に気を遣わなくてよいですし、論理的に正しいと思うことや感覚的に面白い/良いことをストレートに言えます。そうゆう流れはコミュニティ内でも伝播していき、全員がそう話せて、しがらみなく論理的に正しいことや感覚的に面白いことを受け止めて、前に進んでいく感じが大好きです。

一方で、言いにくいコミュニティはなにか歯車が狂ったような感覚があり、あの疲弊した/腫れ物に触るような/行間を読まなければならない感じが苦手です。みんな変だと感じながらも合理的でない方向に進むことも多いように思えます。

 

この差分について、コミュニティの評価や風土が大事だと言う人もいて、それはその通りだなと思います。正しいことを言う/やることが評価されれば言いやすいでしょう。

でも、それだけでそんなにも上手くいかないだろうと言うのが実際に思うところ/経験したところで、発言や行動が受け止められるか/肯定されるかは、その人の実績、キャラクター、テクニック、役職などに大きく影響されるところもあるように思えます。(フラットを全面に押し出してる前職でも、そうゆう点は往々にしてありました)

 

権力や実績があれば違うのかもしれませんが、我々若者にはそんなものはないことが大半なわけで、正直なところ頼りたくないですが、テクニックやキャラクターで有利な状況を作り出したほうがいい状況もたくさんあると思います。

そうしたコミュニティに身を置いた時の個人的なテクニックを(自分のために)備忘録的までに書き残しておきます。

どれを引き出すかはその場の状況次第ですので、引き出しは多ければ多い方がよいかなと思います。(こうゆうこと考えるのも結構疲れますが、誰かに使ってもらってる/使われてるときもたくさんあるはず)

 

  • どんなにとんちんかんな意見でも少しは肯定する→なんやかんやで人は感情的な生き物なので、共感することで自分の意見も聞いてもらいやすくする
  • 議論が脱線した時は「あとで話しましょう」といって戻す
  • なるべく意見を少なくして、本当に必要な時だけ発言する(大きい一撃を)
  • 議論が迷走したときは、フレームとその活用イメージを提示してしまう
  • 議論の中での権力者に多少迎合して、発言を通しやすくする/権力者に押してもらいやすくする
  • あまりにもひどい意見を押し通す人がいる場合は、議論の中でその人の状況を傾ける
  • 議論の前に着地点/利害を擦り合わせておく
  • 自信があるように話す/自信がないように話す
  • 概ね合意してから細かい変更を加えていく
  • 前提や青写真は一致していることを確認して、通したいことをそれと相関があるように伝える/見せる
  • すでに動いてしまっている感じにする/動かしてしまう